平成28年度 研修医(地域医療研修)
研修期間:H28.8

「京丹後と丹後中央病院と地域医療」

 鮮やかな緑の木々が生い茂る暑中、私は京丹後の地を訪れた。住み慣れた京都盆地のうだるような暑さとは打って変わり、清々しい風も感じられる程の心地良い気候であった。

 京丹後市は京都の最北部に位置し、北は日本海に面し、西は兵庫県に接している。その歴史は弥生時代に遡り、峰山町に扇谷遺跡と途中ケ岡遺跡、弥栄町に奈具遺跡等の大遺跡を有し、日本海における文化の一大中心地であった。また紀元四世紀の古墳時代には、網野町に巨大な前方後円墳である網野銚子山古墳、丹後町に神明山古墳が築かれ、「丹後王国」なる存在も噂される程であった。その後は丹後国、峰山藩と変遷し、平成の都市改変を経て現在の京丹後市となった。

 この歴史ある町には現在、五万と五千の人々が生活をしているが、その三人に一人が高齢者に当たり、全国平均の二十六%と比べても抜きんでている。また百寿者の人数は78人と、これも全国平均の三倍弱を誇る。健康長寿それだけを捉えると非常に素晴らしいことではあるが、若年者の地域離れとも取れる事実である。

 京丹後市には現在四つの地域中核病院があるが、その中でも丹後中央病院は最も大きな規模を誇り、病床数約三百、職員数四百五十名を有する。約二週間の短い期間ではあるが、丹後中央病院に従事した経験を踏まえ、地域医療と中核病院の果たすべき役割について考えたこと、感じたことをここに述べたいと思う。

 まず地域医療における中核病院の役割として、救急医療と高度医療の供給が第一にあると考える(ここでいう高度医療とは、診療所等では設備されていない機器を用いた治療を広く指す)。そのためには、各診療所や開業医院といった「かかりつけ医」と中核病院の役割分担が必要と考える。「かかりつけ医」がその地域性や生活背景に即してプライマリケアを行い、その上で中核病院との連携を図り、救急医療や高度医療を行うことが望ましいと考えるが、そう理想通りにはいかない。「かかりつけ医」自体の高齢化や医師不足の現状を背景として、実際には中核病院がプライマリケアの役割も果たす必要性が、実際の外来からも伺われる。これらの結果として、中核病院に勤務する医師への過重労働が生じ、本来であれば救急医療が必要とされる患者へも必要な医療が提供できない事態が生まれてしまう。

 背景にある問題点として、「距離」が挙げられる。まず物理的な距離として、いわゆる「僻地」では特にではあるが、「かかりつけ医」から中核病院への連携が難しくなる。さらに医学的な距離として、医療水準の高度化や医療分野の専門化が進む今日においては、ますます必要とされる医療水準から遠ざかってしまうかも知れない。

 これらの打開策の一つとして、各医療機関の間で情報を共有化し、積極的に情報交換や役割分担を施行することを考える。具体的には、患者情報サービスを共有し、必要な検査をその基盤を有する医療機関で施行する、またそれぞれの専門分野の領域において治療方針の提案を行い、実際の生活背景と照らし合わせて、最終的には「かかりつけ医」と患者が判断していくというものである。しかし、現状の保険医療制度ではこれを進めることで弊害が多々生じることも考えられる。実際、中核病院の経営状況は必ずしも思わしくないことが多い。連携に伴い診療報酬を確実に算定するシステムが確立しない限り、このような地域の役割分担は実現し得ないと考える。日本における国民医療保険制度をとっても、今後地域医療において大規模な医療資源といったハード面を大幅に導入することは不可能であり、ソフト面での改善策が必要である。現実にある医療資源を最大限に生かす方法として、地域ネットワークの構築とその実践が必要である。

 さらに、問題は必ずしも医療従事者だけのことではない。患者やその家族一人一人が医療について考えを共有していく必要がある。日本のような低税率国家において現状の国民健康保険制度を維持していくには近い将来に必ず限界が訪れる。国民一人一人が保険の恩恵を受けている以上、いわゆる救急車の乱用を始めとした医療資源の不適切使用についても自粛、自制をしていく必要がある。

 今後地域医療を存続させるためには、地域住民一人一人の意識の下、如何に存在する資源を最大限に利用できるか、またそのために各医療機関の役割を再認識し、役割分担に必要なネットワーク基盤を構築していく必要があるということである。

 最後になりましたが、この度丹後中央病院において普段の診療では経験することのできなかった貴重な体験を得られたこと、またそれに伴い直接ご指導頂きました西島院長、佐竹先生、濱田先生、並びに多くのスタッフの方々に厚く御礼申し上げます。